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2007年08月11日
 ■  第49回アンソニー・ミラー氏Fコミュビデオキャスト

今回より4回にわたってRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
学生時代にインターンとして日本の企業に数ヶ月勤め、団地に住み、通勤地獄を経験し、その後卒業してからは数社の投資銀行で経験を積み、2001年より日本に舞い戻ってRCG JAPAN LTD. の代表を務めるという様々な転職&独立経験をお持ちのミラー氏。
失業期間も経験しているため単なるラッキーな成功物語でないところが、Fコミュリスナーの共感を呼ぶと思います。
第一回目は
■月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
■80年代ハーバード大学院でも日本は注目されるが・・・
をお送りします。

 
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■アンソニー・ミラー氏のプロフィールはこちら
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内容
■月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
高校大学時代から私は日本に強い関心を持っていた。
日本のものに興味があり面白いと思っていたが、それらの実体験はなかった。
子供の頃の親との旅行はヨーロッパや米国内ばかりで、大学時代に経済と経営学部の
学生団体に所属していたが、そこでは世界中からの学生をプロビデンス(コネチカット州都)に受け入れる代わりに所属学生を好きなところに派遣してくれた。
私は格好の良さからファイナンスの仕事を選び、そして同様の理由で日本を派遣先に選んだ。
勤務先は聞いたことがなかったが千代田生命という会社に決まった。
当時は日本で五・六位の中堅の保険会社だったと思う。
その後倒産したが当時はまだ堅調な会社だった。
単身来日した時はそこが保険会社で、月給を400ドル支給してくれるぐらいの認識しかなかった。
その他に支給されたのは住む家と必要経費。
日本は物価が高いと言われていたので当初は大変心配していた。
東京の一坪はロス全体に匹敵すると言う人もいたぐらいだ。
着いたホテルの宿泊と朝食代は一カ月分の給料に相当するものだった。
お金の面でこの先どうなるのか不安だった。
結局は会社側が他の従業員にするように全部面倒をみてくれた。
それからは団地に住む典型的な勤め人となり、通勤は電車で一時間半。
もううんざりだったのだが、日本人の方がもっとうんざりしていたようだ。
私が嫌になったのはいつも孤独で、20マイル四方に外人は私だけだったということもあり、当時の日本女性は西洋人が好きでなく、というか、どう扱って良いか分からない感じで、だから、私にとって日本滞在中の3,4ヶ月は孤独で憂鬱な日々であった。
でも、私が嫌になったもうひとつの理由は、特に若いサラリーマンの悲惨な状況だった。
驚くほどの長時間勤務をし、仕事が嫌いでサボることばかりを考え、上司を嫌い、会社からは疎外されていた。
いわゆる愛社精神はあるが、それは会社の野球チームを応援する程度のことで、仕事や会社に心底愛着を持っているということではなく、哀れな存在であった。
私が一緒に住んでいた独身の20代の日本人の男性達は、70年代後半頃だったが結構不幸な状況にあった。
彼らは仕事に忙殺されながらも、その仕事を本当に好きになれずに、定年までの30年40年を過ごす自分を見ていたのだ。
彼らにとって楽しくも面白くもあるはずがない。
■80年代ハーバード大学院でも日本は注目されるが・・・
5年から10年後の83年にハーバードの大学院に在籍していた頃、日本が話題となりいつも「日本」が模範であった。
ビジネスは日本流に行うべきだと皆が言っていた。
当時のアメリカ経済は良くも悪くもない状況で、日本の計画経済の方が賢いやり方だとされ、長期的資金運用に重点を置いていたため金利も低く、産業に立脚した経済構造を目指し、労使関係も良好で、日本はこの83年当時は世界一の経済大国だった。
当時「いやいや日本経済は本当は大したことない、何れ軌道を外れて大変なことになる」と言える程賢くはなかったのだが、変わりに「日本をモデルに経済を組み立てるのはやめた方が良い。なぜなら日本の人たちは幸せを感じていないから。平均的日本人ビジネスマン・専門職ホワイトカラーは惨めな思いをしている。実際のところ肉体労働者の方が幸せかもしれない。働き手が仕事嫌いである社会を意図的につくる人はいないと思うが、日本はそんな社会だった。経済にとってはプラスでもそのような
やり方は真似すべきでない、アメリカでは機能しないし人々も許容しない。どちらにしてもやめた方が良い。」と私は主張した
そして日本のやり方自体も83年当時に考えられていた程うまく機能しなかった。


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投稿者 Fcommu : 2007年08月11日 23:10

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