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2007年08月23日
 ■  第52回アンソニー・ミラー氏Fコミュビデオキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
アジア事業縮小で半数の減員となるが、ミラー氏は首にならずNY転勤の話が来る。ところが香港にとどまる決意をしたミラー氏はその話を蹴り2年ほど失業する・・・。
この回では
■ベア・スターンズに復帰するもアジア事業縮小の中で
■失業から一転 起業と引き抜き
をお届けします。

 
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2007年08月19日
 ■  第51回アンソニー・ミラー氏Fコミュビデオキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
ベア・スターンズでジュニアパートナーの職につき、パークアヴェニューに面した個室を与えられるも、所得を80%も落としオハイオ州のクリーブランドでゴミのリサイクルの事業を始めるミラー氏。
この回では
■ウォール街からゴミのリサイクル事業へ転身
■ベア・スターンズ社に復帰し鉄鋼スラグの山から香港へ
をお届けします。

 
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2007年08月18日
 ■  第50回アンソニー・ミラー氏Fコミュビデオキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
学生時代日本で悲惨な?サラリーマン生活を経験したミラー氏はウォール街にありがちな大手一流企業への就職を目指し、中堅の老舗投資会社ディロン・リードに入社するも、今ひとつ肌に合わず当時少し格下のベア・スターンズ社に転職。はちゃめちゃで企業家精神にあふれた新会社では水を得た魚のように楽しく働きアジアを任される・・・
この回では
■一流企業に入ることだけがすべて?
をお届けします。

 
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2007年08月11日
 ■  第49回アンソニー・ミラー氏Fコミュビデオキャスト

今回より4回にわたってRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
学生時代にインターンとして日本の企業に数ヶ月勤め、団地に住み、通勤地獄を経験し、その後卒業してからは数社の投資銀行で経験を積み、2001年より日本に舞い戻ってRCG JAPAN LTD. の代表を務めるという様々な転職&独立経験をお持ちのミラー氏。
失業期間も経験しているため単なるラッキーな成功物語でないところが、Fコミュリスナーの共感を呼ぶと思います。
第一回目は
■月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
■80年代ハーバード大学院でも日本は注目されるが・・・
をお送りします。

 
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内容
■月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
高校大学時代から私は日本に強い関心を持っていた。
日本のものに興味があり面白いと思っていたが、それらの実体験はなかった。
子供の頃の親との旅行はヨーロッパや米国内ばかりで、大学時代に経済と経営学部の
学生団体に所属していたが、そこでは世界中からの学生をプロビデンス(コネチカット州都)に受け入れる代わりに所属学生を好きなところに派遣してくれた。
私は格好の良さからファイナンスの仕事を選び、そして同様の理由で日本を派遣先に選んだ。
勤務先は聞いたことがなかったが千代田生命という会社に決まった。
当時は日本で五・六位の中堅の保険会社だったと思う。
その後倒産したが当時はまだ堅調な会社だった。
単身来日した時はそこが保険会社で、月給を400ドル支給してくれるぐらいの認識しかなかった。
その他に支給されたのは住む家と必要経費。
日本は物価が高いと言われていたので当初は大変心配していた。
東京の一坪はロス全体に匹敵すると言う人もいたぐらいだ。
着いたホテルの宿泊と朝食代は一カ月分の給料に相当するものだった。
お金の面でこの先どうなるのか不安だった。
結局は会社側が他の従業員にするように全部面倒をみてくれた。
それからは団地に住む典型的な勤め人となり、通勤は電車で一時間半。
もううんざりだったのだが、日本人の方がもっとうんざりしていたようだ。
私が嫌になったのはいつも孤独で、20マイル四方に外人は私だけだったということもあり、当時の日本女性は西洋人が好きでなく、というか、どう扱って良いか分からない感じで、だから、私にとって日本滞在中の3,4ヶ月は孤独で憂鬱な日々であった。
でも、私が嫌になったもうひとつの理由は、特に若いサラリーマンの悲惨な状況だった。
驚くほどの長時間勤務をし、仕事が嫌いでサボることばかりを考え、上司を嫌い、会社からは疎外されていた。
いわゆる愛社精神はあるが、それは会社の野球チームを応援する程度のことで、仕事や会社に心底愛着を持っているということではなく、哀れな存在であった。
私が一緒に住んでいた独身の20代の日本人の男性達は、70年代後半頃だったが結構不幸な状況にあった。
彼らは仕事に忙殺されながらも、その仕事を本当に好きになれずに、定年までの30年40年を過ごす自分を見ていたのだ。
彼らにとって楽しくも面白くもあるはずがない。
■80年代ハーバード大学院でも日本は注目されるが・・・
5年から10年後の83年にハーバードの大学院に在籍していた頃、日本が話題となりいつも「日本」が模範であった。
ビジネスは日本流に行うべきだと皆が言っていた。
当時のアメリカ経済は良くも悪くもない状況で、日本の計画経済の方が賢いやり方だとされ、長期的資金運用に重点を置いていたため金利も低く、産業に立脚した経済構造を目指し、労使関係も良好で、日本はこの83年当時は世界一の経済大国だった。
当時「いやいや日本経済は本当は大したことない、何れ軌道を外れて大変なことになる」と言える程賢くはなかったのだが、変わりに「日本をモデルに経済を組み立てるのはやめた方が良い。なぜなら日本の人たちは幸せを感じていないから。平均的日本人ビジネスマン・専門職ホワイトカラーは惨めな思いをしている。実際のところ肉体労働者の方が幸せかもしれない。働き手が仕事嫌いである社会を意図的につくる人はいないと思うが、日本はそんな社会だった。経済にとってはプラスでもそのような
やり方は真似すべきでない、アメリカでは機能しないし人々も許容しない。どちらにしてもやめた方が良い。」と私は主張した
そして日本のやり方自体も83年当時に考えられていた程うまく機能しなかった。


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 ■  アンソニー・ミラー氏ビデオキャスト番組一覧&プロフィール
RCG JAPAN LTD.
レミアス・キャピタル・グループ
アンソニー M. ミラー氏
Mr. Anthony M. Miller
Miller氏写真
大手投資銀行の職を捨て、ゴミのリサイクル事業を起こしその後失業を経て日本に戻るまで
■第49話 月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
■第50話 一流企業に入ることだけがすべて?
■第51話 ウォール街からゴミのリサイクル事業に転身
■第52話 NYへの転勤を断り失業へ

→アンソニー M. ミラー氏ポッドキャストはこちらから
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アンソニー M. ミラー氏プロフィール
1979年 学生時代インターンとして千代田生命に勤務。団地生活と片道1時間半の通勤を経験する。その後老舗の投資銀行ディロン・リード社(現UBS)、ベア・スターン社で勤務後、1983年ハーバード大学ビジネススクール入学。その後パークアベニューに面した個室を与えられるも、独立しクリーブランドで製造会社の経営に参加。ゴミのリサイクル事業を行う。後にベアー・スターンに一旦戻るもアジア事業の縮小で、ニューヨークへの転勤の話をもらうがそれを受けず、香港に無職のまま留まることを決意。1、2年の失業期間を経た後カーライルと出会いアジアのプライベート・エクイティ・チームを結成。その後レミアス・キャピタル・グループの日本代表として現在に至る。


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2007年08月06日
 ■  第48回片岡達也氏Fコミュビデオキャスト

今回はTSUTAYA株式会社 執行役員 片岡達矢氏の第3話になります。
最終回は
■人を幸せにするという使命を全うするために
をお送りします。

 
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■片岡達矢氏のプロフィールはこちら


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2007年08月04日
 ■  第47回片岡達也氏Fコミュビデオキャスト

今回もTSUTAYA株式会社 執行役員 片岡達矢氏にお話をうかがいます。
2回目の配信では
■会社が行き詰った年に最年少で支店長に
をお送りします。

 
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2007年08月02日
 ■  第46回片岡達也氏Fコミュビデオキャスト

今回より3回にわたって株式会社TSUTAYA 執行役員の片岡達矢氏にお話をうかがいます。
若干32歳の片岡氏ですが新入社員として10年前にTSUTAYAに入社し、その後どのような経験を経て執行役員に至ったのか、苦労話なども交えて若いパワーで熱く語っていただきます。
第一回目は
■自己実現を語る社長に出会う
をお送りします。

 
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 ■  片岡達矢氏ビデオキャスト番組一覧&プロフィール
株式会社TSUTAYA
執行役員
片岡 達矢氏
片岡 達矢氏写真
自己実現を熱く語る社長に出会ったところから始まり勤続10年で執行役員へ
■第46話 自己実現を語る社長に出会う
■第47話 会社が行き詰った年に最年少で支店長に
■第48話 人を幸せにするという使命を全うするために

→片岡 達矢氏ポッドキャストはこちらから ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 片岡 達矢氏プロフィール
1997年 TSUTAYA株式会社入社
現在32歳。執行役員。
■TSUTAYA WEBサイトはこちら
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投票人数:(997)