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2007年01月21日
 ■  第23回ヴェセリン・ポポフスキー氏Fコミュビデオキャスト

Fコミュゲストは今回よりブルガリア人のヴェセリン・ポポフスキー氏(Dr.Vesselin Popovski)を迎えてお送りします。
今回は
■外交官の職を投げ打っての4度の転職歴
をお送りします。
何故あえて安定した外交官の職をやめ次へのステップに挑戦したのか、ポポフスキー氏のキャリアがどのように現在国連大学での職へと変わっていったのか、転職を考えている方はとても参考になる23話です。
なおポポフスキー氏は英語でお話になりますので、下記のスクリプトを参考にしてくださいね。

 
RSSを利用してiTunesやiPodで見るときはグリーンのボタンをiTunesにドラッグ&ドロップし、ダウンロードしてその場で1話のみ楽しむときはグレーのボタンを押してください。
■音声のみを聞くときはこちらからアクセスしてください。
■詳しくは使い方はこちらからどうぞ。
■ヴェセリン・ポポフスキー氏のプロフィールはこちら

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内容

私自身のキャリアを話すと共に今後労働環境で期待されている、若者にアドバイスをしたいと思う。
私は4度転職している。
ブルガリアの外交官として出発し、様々な場所で7年間務めた。
その後研究者としてのキャリアに切り替え国際法を教えた。
そしてEUの国際組織に勤務し、そこではロシア政府での訓練分野での仕事であり、そして現在は国連大学で勤務しているので、私のキャリアの位置として多くは、外交的なものか教育的なものである。
私はそれぞれのキャリアを楽しみ、タイプの違うキャリアにつけたことは
刺激的なことであった。
そうでなかったら1つの仕事をひたすら続けて退屈であっただろう。
私の場合は挑戦を好み、チャンスを見つけて一番自分にあった仕事を選ぶ。
そうすることで自分の専門家としての野望が満たされる。
最初の転換は外交官から純粋に大学で教える研究者だったが、大変満足であった。
7年間外交官として務め多少マンネリ化し始めていたからだ。
興味深いのは外交官という仕事は外から見ると豪華で、外交官が毎夜パーティに行き
シャンパンを飲みリムジン付きを、想像をするかもしれないが、実際には毎日の日常的な仕事があり、豪華でもなく外見よりはきらびやかでない。
外交官の仕事は楽しかったのだが、もう少し知的で挑戦できる仕事に就きたいと思う時期であった。
そこで博士論文を書き研究者としての仕事に就き教えるという転換を図った。
この転換が助けになったのは、ある種自分の外交官としての実務経験を経歴として利用し教えることができた。
自分が外交官として行ってきた事を教え、その後さらなる資格、博士号を取り、大学で教え始めた。
大学の教員は素晴らしい職業で、大いに楽しんだ。
若者と共に働き自分の持っている知識やスキルを結集させた。
ある種大変教えがいがあり、他者に教えると言うことは人間らしいことで、ほぼ5年間教え続けた。
3つ目の仕事は人権訓練の専門家として、ロシアで働くことだった。
前職とも関連性があり、すべての職は何らかの形で前職と結びついているものである。
モスクワで2年半滞在し、主にロシアの弁護士を人権問題において世界水準到達するように教育した。
モスクワだけに留まらず、ロシア国内のあらゆる小さな都市や町にに出向き、夏季及び冬季の訓練セミナーや会議を開催した。
この仕事もやりがいがあり好んで取り組んだ。
というのもこれは実用的な教育で通常の大学での授業とは異なる。


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投稿者 Fcommu : 2007年01月21日 14:53

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