本プレゼント
2007年09月14日
 ■  第51回Fコミュポッドキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
ベア・スターンズでジュニアパートナーの職につき、パークアヴェニューに面した個室を与えられるも、所得を80%も落としオハイオ州のクリーブランドでゴミのリサイクルの事業を始めるミラー氏。
この回では
■ウォール街からゴミのリサイクル事業へ転身
■ベア・スターンズ社に復帰し鉄鋼スラグの山から香港へ
をお届けします。

RSSを利用してiTunesやiPodで見るときはオレンジのボタンをiTunesにドラッグ&ドロップし、ダウンロードしてその場で1話のみ楽しむときはグレーのボタンを押してください。
■アンソニー・ミラー氏のプロフィールはこちら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

内容

■ウォール街からゴミのリサイクル事業へ転身
その後もしばらくは投資銀行の仕事に身を置いたが、数年後には米国クリーブランドにある製造会社の経営に参加することになった。
クリーブランドを好きな人もいるだろうが、私はそうでもなかった。
私の知人は皆同じことを言うであろう。
寂しい古ぼけた町で、失業率もかなり高い。
かつては鉄工所が3つあったが、1つになっており、その1つも当時は倒産していた。
大多数の労働者は失業中か、職を失うことを恐れていた。
我々はゴミのリサイクル事業を行っていた。
中小企業で4500万ドルぐらいの会社だった。
友人と一緒に大きなシェアを購入し、CEOから経営を手伝ってほしいと言われた。
ウォール街の仲間は気がふれたと思っただろう。
ジュニアパートナーとしてパークアベニューに面した個室も与えられていたのに、クリーブランドの産業センターにある、鉄鋼スラグの山と向き合うだだっ広い事務所に
移ったのだから。
その年の所得はウォール街のときの20%ぐらいに減り、皆からは頭がおかしくなったと思われていた。
でも、一度は会社を経営してみたかったし、非公開会社への投資も行ってみたかった。
投資銀行というのは代理人としての手数料収入しかない。
しかしプライベートエクィティやヘッジファンドでは自分が投資の主体であり、他人の金であっても意思決定を行うのは他ならぬ自分である。
投資銀行からプライベートエクィティへの移行は難しかった。
魅力的な分野ではあったが、案件が比較的少なく参入が困難だったからである。
当時はまだ規模が小さかったのである。
そこで、実際の会社に投資してみることを考えたのだ。
製造業で一大帝国を作る夢もあった、小説「アトラス・シュラグド」に出てくるジョン・ゴールトのようになろうとも考えた。
しかし、そうはならなかった。
会社としては面白く利益を生んでいたのだが、問題を抱えていたためにそれ以上の成長は見込まれなかった。

■ベア・スターン社に復帰するも
アジア事業縮小の中で、クリーブランドで2年半が過ぎた頃、以前勤めていたベア・スターンズ社の社長と国際的な投資銀行のトップより、香港オフィスに戻り働かないかとの誘いを受ける。
香港ではかつて一つしか取引を締結していなかったのだが、ベア・スターンズ社は特に国際部門に力を入れていたわけでもなかったので、皆より多くの取引経験を積んでいた。
2年半クリーブランドにいた間に香港オフィスは7名から90名まで増員したが、オフィスのほとんどのものは経験に乏しかったので、ここアジアでの投資銀行業務で私にお呼びがかかったのだ。
仕事は素晴らしく給料はその時の仕事の10倍で、リサイクルの仕事がこの先上手く
いかないことがわかっていたので、この仕事をうけることを快諾した。
誰もがなかなか幸せになれないオハイオのクリーブランドを去り、刺激的で活気があり素晴らしい所と以前の滞在から記憶していた香港へ移り、ベア・スターンズ社で勤務することになった。
私が「ここ」という時にアジアを意味するのは、日本とアジアがアメリカにとって他と異なる市場であるからだ。

投稿者 Fcommu : 2007年09月14日 15:47

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://career-finders.net/pod/mt-tb.cgi/171

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)