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2006年11月22日
 ■  第5回Fコミュポッドキャスト

外国人がキャリアを語る第1回目のゲストはフランス人建築家のリシャール・ブリア(Richard Bliah)氏です。
フランス語・英語・日本語を自由に操るリシャール氏ですが、今回は流暢な日本語で語っていただきます
・来日のきっかけ
・日本での学生生活

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 ■  第6回Fコミュポッドキャスト

フランス人建築家リシャール・ブリア氏が
・日本での就職そして起業
・現在のプロジェクト
を語っていただきます。
若いときは失敗してもやり直すチャンスはいくらでもある、というブリア氏。
外国人でありながら日本で26年前に起業した頃のお話も含めてうかがいます。


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 ■  第7回Fコミュポッドキャスト

フランス人建築家シャール・ブリア氏の
・3つのポリシー
・日本を外から見る
をお届けします。
建築家ならではのこだわりや、グローバルな考え方をお聞かせいただきます。


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 ■  第8回Fコミュポッドキャスト

フランス人建築家リシャール・ブリア氏の最終回は地球は丸くて皆の物です。
日本だけでなく、地球という大きな視点からキャリアを語っていただきます。
・地球は丸くて皆のもの
・日本にとどまる理由
・新しい自社ビルのこだわり
をお届けします。

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2006年12月17日
 ■  第12回Fコミュポッドキャスト

外国人がキャリアを語る2人目のゲストは元コスタリカ大使のアレクサンダー・サーラス(Alexander Salas Araya)氏です。
今年の6月までコスタリカ大使として日本に勤務後、一度コスタリカに帰国し、再度民間人として日本に戻ってこられたという異色の経歴の持ち主です。
第一話は日本ではあまりなじみのないコスタリカについてお話いただきます。
なおコスタリカはスペイン語圏ですが、サーラス氏は英語が堪能なため英語でお話いただき日本語のスーパーをつけています。
下記の内容も参考にしてください。

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内容:
アレクサンダー・サーラスです。コスタリカ出身です。
コスタリカは中米のとても小さな国です。
人口はわずか400万人の興味深く美しい国なので、よく知られていて旅行者が沢山訪れる。
特にエコロジカル・アドベンチャーに来る旅行者が多い。
コスタリカの特徴として軍隊を持たないことがある。
そのため無駄な予算を軍隊に費やす必要がなく、そのため無駄な予算を軍隊に費やす必要がなく、その分を教育と保健衛生に使っているため、コスタリカでは教育と社会保障のレベルが高く、NGP6%のを教育と保険衛生に、国家予算の20%を教育に費やしている。
コスタリカの学生は国内及び海外で働くために準備する。
特に国営企業と国際企業で働くように教育される。

2006年12月19日
 ■  第13回Fコミュポッドキャスト

元コスタリカ大使のアレクサンダー・サーラス(Alexander Salas Araya)氏が19歳で結婚して、学業とキャリアを両立させながら4人の子供と妻を養い、またコスタリカと日本のキャリアに対する考え方の違いを語っていただきます。
下記日本語のスクリプトも参考にしてください。

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内容
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コスタリカでの学生生活:
小中学校の時代から活発な少年で、経済・政治・社会問題に興味があり、国内レベルだけでなく国際的な情勢についても興味があった。
海外旅行にも関心を持ちすでに世界中35カ国を旅し、特にアメリカ、アジアヨーロッパを周った。
語学学習にも興味があり、特に英語は外国へ旅行する時や就職に有利なので勉強した。
そういうわけで英語を第二外国語として学習し、私の母国語はスペイン語なのだが、英語学習には真剣に取り組んだ。
中学の時に英語の授業を選択し、大学でも続けた。
コスタリカ大学で経済学を学び、昼間は経済学リサーチのアシスタントとして働いた。
働いて実習する必要があったのと、19歳という大変若いときに結婚しその後の4人子供ができたので、キャリアを積み、そして家族を養うのに全力を尽くした。

キャリアに対する考え方の違い:
大学卒業後はコスタリカ大学で経済学を教えはじめ、また、コスタリカの外国貿易省にてアドバイザーとして働き、国内およびコスタリカに進出したい海外企業のアドバイスをした。
コスタリカは特に18,19世紀から国際的に開放された国となり、観光客や国際貿易に現在にわたって開放している。
特にアメリカやヨーロッパそしてアジアに輸出しているが、日本にもコーヒーを輸出している。
コスタリカの市場レベルは競争力があり、海外企業が沢山進出してきている。
コスタリカ人は常によりよいポジションを求めているので、国内レベルでも、国際レベルでもよい地位を得ようとする。
コスタリカではお互いに競争心があるので、よい職を求めて常に前進する。
コスタリカでは終身雇用されていると受身で活発でないとみなされ、時には二流とされることもある。
よって常に前進が必要である。
1つの会社で長期間働く日本のスタイルとは対照的で、それが日本ではその人の責任感や献身、安定性と評価される。
コスタリカではよりよい機会を求めるの教育システムも競争心を養うものである。

2006年12月20日
 ■  第14回Fコミュポッドキャスト

元コスタリカ大使のアレクサンダー・サーラス(Alexander Salas Araya)氏がコスタリカでの女性の活躍、外見がキャリアの上でも重要視されること、政治の舞台から外交の舞台へと自身のキャリアの転換をはかっていったお話をしていただきます。
下記日本語のスクリプトも参考にしてください。

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コスタリカ人女性の社会的地位:
コスタリカの教育システムは、専門家そして企業家精神を育む。
それは男性だけでなく女性に対しても行わので、男女間の競争が激化する。
かつては女性は家庭に入り男性が肉体労働をしたものだが、今は男女が競い合わなくてはならない。
コスタリカでは女性が大変重要な職を得ていて、時には男性の上に立つこともあり、大変高い能力を持っている。
また法律でも差別が無いよう保護されていて、男女平等が謳われている。
また政治の舞台でも男女が半々の割合で活躍している。
コスタリカでは多くの女性が重要な地位について活躍している。
また、そのような重要な地位につくには外見が重要であるので、外見を気にする人が多い。
というのも外見が競争の重要な要素となるからだ。
日々外見を美しく保つよう努力している。

28歳の時日本の文化に出会う:
コスタリカでは学生を海外へ積極的に送り出している。
私の場合も、外国貿易省で働いていた時にJICAより奨学金を得て、当時はまだ28歳だった。
名古屋に半年間住み、私にとって大変貴重な体験となったのは、それが日本文化に触れた初めての
機会であったからである。
日本語の授業を取り学ぶ一方、ビジネス・フィージビリティ・スタディとマネージメントプラクティスを学び、それは小規模・中規模企業の会社を経営するためであった。
日本文化とかかわっていることが、私の専門知識にとって重要で、日本という特別な国に滞在することは素晴らしい機会である。
帰国後もコスタリカの日本大使館と常に関係を保っていて、日本語の勉強を続け、日本文化とのつながりを保った。
この経験は私の人生において素晴らしい足跡となり、私の専門家としてのキャリアと個人に多大な影響を与えた。
コスタリカに帰国しコンサル会社で勤めていたが、政治に興味があったので、政治家としてのキャリアも始まった。
すぐに市長そして国会議員となり、政治家としての成功を収めた。
その間も日本との関係は続けた。
私が市長を務めた市は茨城県の水戸市と姉妹都市であったのと、国会議員時代は日本の国会との
関係を深めた。
2度日本を訪ね日本文化との関係を保った。
その後住宅開発機関で理事を務め、コスタリカ住宅開発の次官に任命された。
その後私のキャリアは政治の舞台から外交の舞台へと移っていった。
ウルグアイのコスタリカ大使に任命され、南米に3年間居住した。
その後日本でのコスタリカ大使となる。
日本で1年間滞在することになったが、日本へ再度戻ることができたことは、私にとって素晴らしい体験で、独特の日本の国と文化そして国民をより深く知ることができた。

2006年12月21日
 ■  第15回Fコミュポッドキャスト

元コスタリカ大使のアレクサンダー・サーラス(Alexander Salas Araya)氏が日本での大使任務を終えて再び日本に民間人として戻り、ビジネスマンとしての道を歩むことになったいきさつ、そして日本の若者のキャリアへのメッセージで締めくくっていただきます。
サーラス氏の関連WEBサイト

マイトラベルWEB

MXI Corp
サーラス氏のEmail:
alexander.salasaraya@gmail.com
下記日本語のスクリプトも参考にしてください。

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民間人としての再スタート:
人生を通して学んだことは、我々は職業的に成長することに努力を惜しまず、前進し続けること、自制や継続、柔軟性、また特に他人を学ぶ余裕を持ち、複数で働くことへの努力である。
今年の6月にコスタリカ大使としての任務を終え、コスタリカに2ヶ月間のみ戻り、再度日本に来るということを心に決めていたので、9月に再来日した。
今度は自分のキャリアを一個人としての側面から築くことができる。
それには自分のもっている可能性や知識・経験・貯蓄を活かし個人として作り上げて行く。
これから個人として様々な方面のキャリアを築くために、特に現在日本で国際的な旅行会社を運営しており、コスタリカベースだがトラベルワン・インターナショナルの関連会社として、アメリカのフロリダ州のマイアミを本拠地としている。
このビジネスが将来性として面白いのは、インターネットを介して会社を管理できるのと、大変求めやすい価格で航空券、ツアーレンタカーやホテルなど、あらゆる観光にかかわるものを販売することができる。
しかもどこにいてもインターネットを介して管理できる。
また、日本やアジアの国々に対して商社も展開にも興味があり、中南米諸国からの輸出だが、この市場には大きなチャンスがあると見込んでいる。
またイギリスの会社にも入り一緒に働いている。
その会社は東南アジアや日本に金融資産投資をしている。
特に香港、タイ、そしてシンガポール向けである。
た別の仕事としてMXIの仕事もしている。低カロリーで健康に良いチョコレートを扱っている。

個人的にも何かに取り掛かり自立しなくてはならないと思うのだが、仕事だけではなくて休日なども利用して収入を得ることができる。もし皆さんの中で一緒に働きたい人がいれば歓迎する。
私のスタイルはグループチームを作りネットワークで動き、可能性を追求しながら収入を増やしていく。
現在定職についていても休日だけ働くことも可能で、両方を平行してやっていって、現在の仕事からこちらの可能性へ転向することも可能である。
私の経験やキャリアについて皆様と多くを共有でき、皆が我々のビジネスに賛同し加りビジネスを成功させるという夢持つ。
もしご興味を持っていただけたらalexander.salasaraya@gmail.comまで連絡いただければ幸いである。
日本の若者へメッセージ:
人生を通していかなるポジションにおいても常に活動的で、新しいものを学ぶことを拒まない。
成長するには新たな行動に対して柔軟であることが重要であると考える。
私の場合も経済学者として勤めていたが、教育やアドバイスコンサルタントもした。
また政治的、外交的な活動もあり、現在の企業家としての活動に至る。
変化に対して受け入れやすい態勢を持つことが必要と考える。
常に他人から学ぶ努力を惜しまず、異文化から学ぶ姿勢を持ち、チームで働く。
常に新しいチャンスを探すことは非常に大切なことであり、劇的に変化する時もあるが、人は皆夢を持ち、それを現実化していくものであるから、よりよい収入や機会を見つけては、最大の努力を払って新しい地位を得たり新しい行動をおこしたりして、自らの幸せを追求しなくてはならない。

2006年12月25日
 ■  第16回Fコミュポッドキャスト

Fコミュビデオキャスト第16回目からはカハタン・スィフィ氏 シリア-Kahtan Syoufi-大使にお話をうかがいます。
日本人にとってはまだまだ未知の国シリアですが、実はアルファベットが最初に発見されたのもシリアだったり、最近女性の間で大人気の「アレッポの石鹸」はアレッポの要塞で有名なアレッポ産であったりと、我々の身近に感じられるところが沢山あります。
第一回目はシリアの地理と歴史を大使に語ってもらいます。
下記の日本語でのスクリプトも参考にしてください。

下記日本語のスクリプトも参考にしてください。

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■カハタン・スィユフィシリア大使のプロフィールはこちら

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内容

未知の国シリアの地理:
コミュでのインタビューを受けることができ光栄であり、また、この場を借りて日本の天皇皇后両陛下にご挨拶申し上げることは光栄であり、大いなる喜びである。
そして親愛なる日本国民の皆様、特にFコミュリスナーの方々に、こうしてご挨拶することができ
嬉しく思っている。
まずわが国シリアの地理的歴史的、文化的な事について述べさせていただきたい。
シリアはアジアの西側地中海の東側に位置し、北側はトルコに、イラクは東側に、ヨルダンは南に
パレスチナ・レバノン、地中海は西側に隣接している。

未知の国シリアの地理:
シリアの人口は1880万人、国土は18万5千平方キロメートル超で、日本のほぼ二分の一である。
東部には砂漠地帯で準乾燥地帯が広がるが、西部は山々と肥沃な土地が特徴である。
シリアは14の行政区域からなっている。

未知の国:シリアの歴史
シリアは古代文明の発祥地であり、東洋と西洋の交わる場である。
ダマスカスは世界でも有数の旧市街である。
シリアの様々な歴史を知ると、人々は皆驚くと言われている。
世界中の観光客を魅了する様々なスポットがあるが、特に砂漠の花嫁と言われるパルミラ、その他アレッポの要塞、南シリアのボスラ円形劇場などがある。

2006年12月27日
 ■  第17回Fコミュポッドキャスト

今回はカハタン・スィフィ氏 シリア-Kahtan Syoufi-大使にシリアの文化、政治、大使のキャリアについて語っていただきます。
東西の多様な文明の出会いの場であり、世界最初のアルファベットが発見され、キリスト教の古址「死せる町々」が伝える豊かな歴史があるシリアを、ルーブル美術館の元官庁は「我々は皆2つの母国を持つ、自国とシリアだ」と言ったそうです。
下記の日本語でのスクリプトも参考にしてください。

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■カハタン・スィユフィシリア大使のプロフィールはこちら
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シリアの文化:
シリアの文化についてだが、シルクロードがアジアの奈良の都からパルミラ、アレッポ、ヨーロッパそして地中海のみならず、アフリカまで続いていた。
元ルーブル美術館長のアンドレ・パロット氏がこう述べている。
「我々は皆2つの母国を持つ、自国とシリアだ」
シリアの政治:
政治面だが、日本とシリアの関係は、ほぼ良好である。
シリアと日本間には戦争も争いもなく、植民化の歴史もない。
よって両国の未来は過去の歴史と同じように明るく期待できるものであるため、私は両国間の将来については楽観視している。
友好的な国、日本とシリアの未来は(これからも)良好で、明るいものである事を望む。
しかし私の大使としての任務は両国間の関係をあらゆる側面、領域から両国間の相互利益のために発展させることである。
シリアではあらゆる国民が日本に対して、より積極的な役割を、経済・政治・そして文化的に担うことを歓迎している。
大使のキャリア:
私は経済学者であり、パリで学び、1977年にパリ第1大学であるソルボンヌ大学で
経済学の博士号を取得した。
以来ずっとシリア政府の経済と財務に積極的に関わっている。
その後税務局長、首相顧問、大蔵大臣、社会保障理事会議長へ昇進した。
またダマスカス大学にて経済学の教鞭もとった。
3年前に親愛なる日本への大使として任命された。

2007年01月12日
 ■  第18回Fコミュポッドキャスト

シリア大使 カハタン・スィフィ-Kahtan Syoufi-氏の最終回です。
シリアのキャリア、女性の活躍、そして日本の皆様へ暖かいメッセージを最後にいただいています。
下記の日本語でのスクリプトも参考にしてください。

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シリアのキャリア事情:
我々の友、日本と日本の皆様についてだが、働き方が一生懸命で誠実で効率的であるので、一緒に仕事をすると明快で積極的であり、この経験が両国間の利益に繋がればよいと考えている。
シリアは現在失業率を最小化あるいは削減するために努力している。
そのためにプロジェクト設置投資を推し進めている。
また、訓練と教育の提供も行っている。
正直なところ、労働力の多くがめいめいの事情により、より多くの収入を得ようとしてる。
シリアの女性について:
概してシリアの女性は社会活動や教育、保健衛生そして政治の舞台まで積極的に関わっている。
文化的には副大統領のアター博士は、女性で日本でも良く知られているのだが、
日本の天皇より勲章を賜っている。
その他女性の大臣や大使国家議員などもいる。
シリア大使よりメッセージ:
最後に日本の皆様へメッセージを送ります。
日本の働く方々を、働く女性も含め高く評価し、尊敬している。
特に働く女性が自分の家族、社会、文化を持ち、キャリアを積み昇進を重ねていくことができるよう祈っている。
それでは皆さん「ガンバッテクダサイ」。

2007年01月28日
 ■  第23回Fコミュポッドキャスト

Fコミュゲストは今回よりブルガリア人のヴェセリン・ポポフスキー氏(Dr.Vesselin Popovski)を迎えてお送りします。
今回はポポフスキー氏の4回の転職歴をうかがいます。
外交官としてスタートしたキャリアがどのように現在のキャリアに変わっていったのか、転職を考えている方はとても参考になる23話です。
なおポポフスキー氏は英語でお話になりますので、下記のスクリプトを参考にしてくださいね。

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内容

私自身のキャリアを話すと共に今後労働環境で期待されている、若者にアドバイスをしたいと思う。
私は4度転職している。
ブルガリアの外交官として出発し、様々な場所で7年間務めた。
その後研究者としてのキャリアに切り替え国際法を教えた。
そしてEUの国際組織に勤務し、そこではロシア政府での訓練分野での仕事であり、そして現在は国連大学で勤務しているので、私のキャリアの位置として多くは、外交的なものか教育的なものである。
私はそれぞれのキャリアを楽しみ、タイプの違うキャリアにつけたことは
刺激的なことであった。
そうでなかったら1つの仕事をひたすら続けて退屈であっただろう。
私の場合は挑戦を好み、チャンスを見つけて一番自分にあった仕事を選ぶ。
そうすることで自分の専門家としての野望が満たされる。
最初の転換は外交官から純粋に大学で教える研究者だったが、大変満足であった。
7年間外交官として務め多少マンネリ化し始めていたからだ。
興味深いのは外交官という仕事は外から見ると豪華で、外交官が毎夜パーティに行き
シャンパンを飲みリムジン付きを、想像をするかもしれないが、実際には毎日の日常的な仕事があり、豪華でもなく外見よりはきらびやかでない。
外交官の仕事は楽しかったのだが、もう少し知的で挑戦できる仕事に就きたいと思う時期であった。
そこで博士論文を書き研究者としての仕事に就き教えるという転換を図った。
この転換が助けになったのは、ある種自分の外交官としての実務経験を経歴として利用し教えることができた。
自分が外交官として行ってきた事を教え、その後さらなる資格、博士号を取り、大学で教え始めた。
大学の教員は素晴らしい職業で、大いに楽しんだ。
若者と共に働き自分の持っている知識やスキルを結集させた。
ある種大変教えがいがあり、他者に教えると言うことは人間らしいことで、ほぼ5年間教え続けた。
3つ目の仕事は人権訓練の専門家として、ロシアで働くことだった。
前職とも関連性があり、すべての職は何らかの形で前職と結びついているものである。
モスクワで2年半滞在し、主にロシアの弁護士を人権問題において世界水準到達するように教育した。
モスクワだけに留まらず、ロシア国内のあらゆる小さな都市や町にに出向き、夏季及び冬季の訓練セミナーや会議を開催した。
この仕事もやりがいがあり好んで取り組んだ。
というのもこれは実用的な教育で通常の大学での授業とは異なる。

2007年02月14日
 ■  第25回Fコミュポッドキャスト

今回も引き続き国連大学国際秩序と正義研究部長 学術研究官ベセリン・ポポフスキー氏にお話をうかがいます。
ポポフスキー氏は外交官から始まり、いままでずっと終身雇用の意味を持つ正社員として職を得たことがなく、任期契約制で数年ごとに転職を重ねていらっしゃいます。
契約であることの意義をご自身の経験を元に語っていただきます。
今ちょうどドラマで「派遣の品格」をやっていますが、そういう意味でも旬な話題ですね。
ポポフスキー氏は英語でお話になりますので、下記のスクリプトを参考にしてくださいね。

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内容

正社員雇用と契約社員雇用
国際的な機関である、国連の正社員雇用制度についてだが、今でも主要な人物が正社員の職を得ることが伝統として残っているが、このような状態は組織にとってあまり効率的ではない。
よってUNの決断は正社員雇用をやめ、継続的雇用にし、それは特に期限を定めないもの
であることもあり、働きがよければ終身雇用のこともあり、正社員にしない理由もない。
また雇用主にも若干の柔軟性を持たせていて、従業員の働きが悪ければ契約を続けないという選択もある。
私はより柔軟性がある方を指示する。
その方が才能を統合でき循環もされる。
正社員雇用とはある種自己満足的なもので、それが一番よいものと信じきっているところがある。
契約期間が決まっていると野心がなくなる人もいる。
私はこれまでずっと任期雇用制で働いてきた。
最初の外交官の仕事は安定しているものであったが、自らその契約を打ち切り、自分で探した次なるチャンスを掴んだ。
その後もそれぞれの職で2年から最長4年で職を変わっている。
そのことで決して不平不満を言わないのは、それがあるべき姿と思っているからだ。
我々はひとりよがりにならず、怠惰にならないよう刺激されなければならず、よりよい将来を目指すべきである。
前に(第24話)でたイギリスの大学で正社員雇用されていた同僚の例だが、今も同じところにいて正社員雇用されているが満足していない。
一方私は正社員の契約ではなかったので新しく職を探し、結果的には前職の2倍近い給料を貰える仕事に就いた。
言い換えると正社員雇用されていないことが自分の雇用に適する能力や、新しい職や改善策を探す能力を高めることになった。
よって同じところに残った正社員の同僚よりも、よりよい職を得ることができた。
正社員雇用とは安全という意味ではない。
先ほど述べたように場合によっては解雇されることはあるからだ。
雇用主だけでなく従業員の立場からも、チャレンジ精神や目標、目的を持ち、それを見せることで契約を更新していくのは良いことだと思われる。
なので私は契約雇用に満足している。
国連の雇用制もこの方向に変わっていくであろう。
現在正社員雇用制の難しさについて多くの議論がなされていて、継続的な雇用に変化していく傾向がある。
日本の雇用制もこの方向に変わっていくことを歓迎する。

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FコミュではVIDEOCASTの以下の編集スタッフを募集しています。
編集・翻訳・運営など幅広くスタッフを募集しています。
内容は
1.VIDEOCASTのビデオ編集(1話が約5分ほど、外国人の場合は翻訳を含めて)
2.上記のMP4ファイルでの書き出しとアップロード
3.弊社MovableTypeのサイト内の更新(外国語の場合はテキストもUP)
4.上記の同じ内容をPODCASTで吹き込みMP3ファイルでの書き出し
5.上記ファイルのアップロードとMovable Typeへの更新
6.弊社トップページ等の更新
8.ゲストお勧め本のアマゾンとのアフィリエイトリンク
9.その他ブログ(計2つ)のメンテナンス(月に4回ほど新しい内容UP)
10.その他Fコミュ全体の運営
上記のすべてでもできそうなところを分割していただいても結構です。
待遇やスケジュールなど詳しくはinfo@careere-finders.netまでお気軽にお問合せ下さい。

 ■  第26回Fコミュポッドキャスト

今回は国連大学国際秩序と正義研究部長 学術研究官ベセリン・ポポフスキー氏の最終回になります。
日本人独特の謙虚さを欧米人の目から見て驚き感心し、同時に野心とのバランスについてアドバイスをしています。
日本人の特徴であるよいところは残しつつ、不満を募らせないように無理なく自分の能力を発揮できる環境づくりが必要だということを国際的な立場から語っていただきます。

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内容

■謙虚さと野心のバランス
日本の働くことに対する文化が素晴らしいと思う。
興味深い経験談として、ある女性が経営者に貪欲だと思われたくないので常勤を望まないという話を聞いた。
このような素直な文化はヨーロッパやアメリカには残っていない。
欧米では皆競争心が強く積極的で昇進を望み、できるだけ多く勝ち取ろうとする。
一方貪欲に見られないようにしたり、より多くを望まなかったりする日本の謙虚さを持つ文化に感心する。
とはいえここで再度謙虚さと野心のバランスを考えなければならず、能力があると感じる時や上昇志向がある時は、常に謙虚であってはならないが、この女性のような謙虚さは問題ではないのであろう。
私が日本の文化を感心するもうひとつの例として、ある人の契約が更新されなくなり、会社側の不備により事前告知の期間が十分でなかった。
さらに2~3ヶ月の契約延長を一旦は提示されたのだが、実際には延長せずその分を報酬として受け取るよう言われた。
彼女はその申し出を断った。
「働いていないのにお金は受け取れない」と言ってそのまま辞職した。
ここに日本の意味深い働くことへの文化的な特長がある。
繰り返しになるがこのようなことが欧米でおこるとは考えがたい。
人々はより貪欲で、このような文化の持つ品格を尊重しないであろう。
このような伝統的だがしっかりとした考えを持つ国に滞在できることを嬉しく思う。
(そのような伝統が)やる気を妨げるものに変わらない限り問題はないだろう。
貪欲に見られたくないので正社員にならない言った友人と議論したのだが、私が彼女に言ったのは、もし1週間に3日だけ働くことや
もっと自分ができると思い不満を感じた時は、いつでも上司に相談してはっきりと「もっと仕事がしたい、もっと私はできる」と言った方がよい。
常に昇給を求める場である必要はなく仕事を求めることもでき、それが自動的に見返りとなることもある。
文化的な規律の違いがあるのだ。
また日本は年次休暇が短く、時には休暇をとらないこともあり、それは休暇を楽しんでいると人から見られたくないからだが、西洋文化では社会的・経済的発展の歴史の中で、全ての人が休暇をとることが
憲法で認められている。
皆休暇を楽しみ、拒否するなどと考えることもしないし、むしろこの権利のために戦う。
「憲法で保障された権利なのだから毎年25日や30日は休暇をとる権利がある」と議論の余地もなし、いかなる従業員も休暇を拒否してはならなずまさしく憲法で保障されている権利なのだ。
日本でもその権利が存在するにもかかわらず、多くの労働者が会社に対する更なる忠誠心を見せるために取らない。
繰り返しになるが、これらの習慣は働くものが不満を募らせない限り
明るく前向きな特徴である。
自発的に休暇を取らずもし権利が侵されていると感じないならば、問題ない。
ただ非自発的に超過労働を強いられたりしたらそれは問題である。

■日本の若者へメッセージ
CNNを設立した有名な起業家テッド・ターナーだが、3週間前に彼を招きスピーチをお願いし彼が言ったことには、「早寝早起きは金儲けと宣伝になる」。
つまり、夜遊びしないで早寝をして朝早く起きる事が金儲けと宣伝になる。
これがテッド・ターナーのメッセージだった。
これは容易なことではないが最後は実を結ぶ。
皆さんの成功を祈る。

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上記のすべてでもできそうなところを分割していただいても結構です。
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2007年09月11日
 ■  第49回Fコミュポッドキャスト

今回より4回にわたってRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
学生時代にインターンとして日本の企業に数ヶ月勤め、団地に住み、通勤地獄を経験し、その後卒業してからは数社の投資銀行で経験を積み、2001年より日本に舞い戻ってRCG JAPAN LTD. の代表を務めるという様々な転職&独立経験をお持ちのミラー氏。
失業期間も経験しているため単なるラッキーな成功物語でないところが、Fコミュリスナーの共感を呼ぶと思います。
第一回目は
■月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
■80年代ハーバード大学院でも日本は注目されるが・・・
をお送りします。

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■アンソニー・ミラー氏のプロフィールはこちら

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内容
■月給400ドルで団地に住み孤独と戦う初来日
高校大学時代から私は日本に強い関心を持っていた。
日本のものに興味があり面白いと思っていたが、それらの実体験はなかった。
子供の頃の親との旅行はヨーロッパや米国内ばかりで、大学時代に経済と経営学部の
学生団体に所属していたが、そこでは世界中からの学生をプロビデンス(コネチカット州都)に受け入れる代わりに所属学生を好きなところに派遣してくれた。
私は格好の良さからファイナンスの仕事を選び、そして同様の理由で日本を派遣先に選んだ。
勤務先は聞いたことがなかったが千代田生命という会社に決まった。
当時は日本で五・六位の中堅の保険会社だったと思う。
その後倒産したが当時はまだ堅調な会社だった。
単身来日した時はそこが保険会社で、月給を400ドル支給してくれるぐらいの認識しかなかった。
その他に支給されたのは住む家と必要経費。
日本は物価が高いと言われていたので当初は大変心配していた。
東京の一坪はロス全体に匹敵すると言う人もいたぐらいだ。
着いたホテルの宿泊と朝食代は一カ月分の給料に相当するものだった。
お金の面でこの先どうなるのか不安だった。
結局は会社側が他の従業員にするように全部面倒をみてくれた。
それからは団地に住む典型的な勤め人となり、通勤は電車で一時間半。
もううんざりだったのだが、日本人の方がもっとうんざりしていたようだ。
私が嫌になったのはいつも孤独で、20マイル四方に外人は私だけだったということもあり、当時の日本女性は西洋人が好きでなく、というか、どう扱って良いか分からない感じで、だから、私にとって日本滞在中の3,4ヶ月は孤独で憂鬱な日々であった。
でも、私が嫌になったもうひとつの理由は、特に若いサラリーマンの悲惨な状況だった。
驚くほどの長時間勤務をし、仕事が嫌いでサボることばかりを考え、上司を嫌い、会社からは疎外されていた。
いわゆる愛社精神はあるが、それは会社の野球チームを応援する程度のことで、仕事や会社に心底愛着を持っているということではなく、哀れな存在であった。
私が一緒に住んでいた独身の20代の日本人の男性達は、70年代後半頃だったが結構不幸な状況にあった。
彼らは仕事に忙殺されながらも、その仕事を本当に好きになれずに、定年までの30年40年を過ごす自分を見ていたのだ。
彼らにとって楽しくも面白くもあるはずがない。
■80年代ハーバード大学院でも日本は注目されるが・・・
5年から10年後の83年にハーバードの大学院に在籍していた頃、日本が話題となりいつも「日本」が模範であった。
ビジネスは日本流に行うべきだと皆が言っていた。
当時のアメリカ経済は良くも悪くもない状況で、日本の計画経済の方が賢いやり方だとされ、長期的資金運用に重点を置いていたため金利も低く、産業に立脚した経済構造を目指し、労使関係も良好で、日本はこの83年当時は世界一の経済大国だった。
当時「いやいや日本経済は本当は大したことない、何れ軌道を外れて大変なことになる」と言える程賢くはなかったのだが、変わりに「日本をモデルに経済を組み立てるのはやめた方が良い。なぜなら日本の人たちは幸せを感じていないから。平均的日本人ビジネスマン・専門職ホワイトカラーは惨めな思いをしている。実際のところ肉体労働者の方が幸せかもしれない。働き手が仕事嫌いである社会を意図的につくる人はいないと思うが、日本はそんな社会だった。経済にとってはプラスでもそのような
やり方は真似すべきでない、アメリカでは機能しないし人々も許容しない。どちらにしてもやめた方が良い。」と私は主張した
そして日本のやり方自体も83年当時に考えられていた程うまく機能しなかった。

2007年09月12日
 ■  第50回Fコミュポッドキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
学生時代日本で悲惨な?サラリーマン生活を経験したミラー氏はウォール街にありがちな大手一流企業への就職を目指し、中堅の老舗投資会社ディロン・リードに入社するも、今ひとつ肌に合わず当時少し格下のベア・スターンズ社に転職。はちゃめちゃで企業家精神にあふれた新会社では水を得た魚のように楽しく働きアジアを任される・・・
この回では
■一流企業に入ることだけがすべて?
をお届けします。


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内容
■一流企業に入ることだけがすべて?
79年や83年の日本の状況がもう少し違っていたら、アジアからキャリアを積んでいたと思う。
最初の訪日があまりにも落胆すべきものだったので、私はウォール街の人間にありがちな大手企業を目指した。
実際には中堅のディロン・リード社に就職した。
ディロン・リード社は非常に名前の通った会社で、歴史も古く、老舗の投資会社だった。
経営者のダグラス・ディロンは財務長官も歴任した。
自分にとっては良い判断ではなかったかもしれない。
一流企業に行くよりはもっと企業家精神に富んだハチャメチャな会社の方が自分には向いていたと思う。
社員は社会的に権威を持っている階層で金持ちばかり、パートナーに至っては自分で稼いだかどうかは別にして更に金があり、世界中に太いパイプを持っている。
彼らは仕事に恵まれていた上に、慎重で賢い人たちだった。
だが少々つまらない感はあった。
必ずしも一流企業に行けば良いということではない。
日本の若者が一流の銀行などに行きたがるのは知っているが、どのような会社に行けば幸せになれるのかを考えるべきだ。
実際私の場合、ディロン・リード社は向いていなかった。
と平然と言えるのもこの会社がもうないからだ。
ディロン・リード社はSGウォーバーグ社に買収され、それを次にスイス銀行が買い、さらにUBSが買った。
そして今はものすごく大きな組織になった。
もしもう一度やり直せたとしても、自分の性格と合わない歴史ばかり長い一流企業にはいかないだろう。
幸いなことにアメリカでは転職が容易なので、2,3年後にはベア・スターンズ社にうつった。
ベア・スターンズ社はディロン・リード社より規模は大きかったが、一流企業としての評価はやや下だった。
しかし、ノリノリの投資銀行でパートナーはより若く、学歴的には前の会社より劣っていたものの、服装も高級品にこだわることなく、持っているお金も相続したものでなく、自らつくった人たちが多かった。
本当に楽しい会社で私自身は幸せだった。
ディロン・リード社もそれなりに良かったが、幸せとまでいえなかった。
だからこその転職だが、アメリカでは簡単なことだ。
日本でも難しくはなくなってきているし、転職ができる環境の方が健康的だと思う。
なぜならそのほうが良い人生を送れるし、自分の可能性も追求できるからだ。
ディロン・リード社に残っていても楽しくなかったろうし、ひょっとしたらアル中になっていたかもしれない。
文句ばかり言ってできるだけ早く引退していたと思う。
でもそうならなかったので、今も幸せで90歳まで働きたいと考えている。
ベア・スターンズ社はディロン・リード社よりドメスティックであったが、国際部門が限られている中で私は香港に派遣された。
日本を離れてから何度もヨーロッパには行ったが、アジアはご無沙汰していたため、香港に行くことは願ってもないことで大変楽しみにしていた。
プロジェクトは半年がかりで4、5回ほど行ったり来たりしていて、一箇所に数週間滞在しまさにアジアに住んでいる感覚だった。
我々は航空機のケータリングを売る仕事を担当し、アジア中を飛び回っていた。
サイパン、バンコク、上海、グアムや日本などに行き、とても楽しかった記憶がある。
香港は本当に東京と違っていて、人々は生き生きしていて活気があり、皆さんは起業家精神も旺盛…というか旺盛すぎて、どんな時でも40分くらいしかじっと人の話を聞かないという感じだった。
それでも仕事は大変上手くいき、ビジネスは最終的にルフトハンザ社に売却できた。
彼らは巨額の賠償金額を提示した。
このとき応札してきた企業には起業したばかりの非公開投資会社のカーライス社があった。
彼らはまだ無名だったが、ほんの少し金額が足りなくてルフトハンザ社に負けた。
私のお客さんは大いに喜び、私もアジアで素晴らしい時間を過ごした。

2007年09月14日
 ■  第51回Fコミュポッドキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
ベア・スターンズでジュニアパートナーの職につき、パークアヴェニューに面した個室を与えられるも、所得を80%も落としオハイオ州のクリーブランドでゴミのリサイクルの事業を始めるミラー氏。
この回では
■ウォール街からゴミのリサイクル事業へ転身
■ベア・スターンズ社に復帰し鉄鋼スラグの山から香港へ
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内容

■ウォール街からゴミのリサイクル事業へ転身
その後もしばらくは投資銀行の仕事に身を置いたが、数年後には米国クリーブランドにある製造会社の経営に参加することになった。
クリーブランドを好きな人もいるだろうが、私はそうでもなかった。
私の知人は皆同じことを言うであろう。
寂しい古ぼけた町で、失業率もかなり高い。
かつては鉄工所が3つあったが、1つになっており、その1つも当時は倒産していた。
大多数の労働者は失業中か、職を失うことを恐れていた。
我々はゴミのリサイクル事業を行っていた。
中小企業で4500万ドルぐらいの会社だった。
友人と一緒に大きなシェアを購入し、CEOから経営を手伝ってほしいと言われた。
ウォール街の仲間は気がふれたと思っただろう。
ジュニアパートナーとしてパークアベニューに面した個室も与えられていたのに、クリーブランドの産業センターにある、鉄鋼スラグの山と向き合うだだっ広い事務所に
移ったのだから。
その年の所得はウォール街のときの20%ぐらいに減り、皆からは頭がおかしくなったと思われていた。
でも、一度は会社を経営してみたかったし、非公開会社への投資も行ってみたかった。
投資銀行というのは代理人としての手数料収入しかない。
しかしプライベートエクィティやヘッジファンドでは自分が投資の主体であり、他人の金であっても意思決定を行うのは他ならぬ自分である。
投資銀行からプライベートエクィティへの移行は難しかった。
魅力的な分野ではあったが、案件が比較的少なく参入が困難だったからである。
当時はまだ規模が小さかったのである。
そこで、実際の会社に投資してみることを考えたのだ。
製造業で一大帝国を作る夢もあった、小説「アトラス・シュラグド」に出てくるジョン・ゴールトのようになろうとも考えた。
しかし、そうはならなかった。
会社としては面白く利益を生んでいたのだが、問題を抱えていたためにそれ以上の成長は見込まれなかった。

■ベア・スターン社に復帰するも
アジア事業縮小の中で、クリーブランドで2年半が過ぎた頃、以前勤めていたベア・スターンズ社の社長と国際的な投資銀行のトップより、香港オフィスに戻り働かないかとの誘いを受ける。
香港ではかつて一つしか取引を締結していなかったのだが、ベア・スターンズ社は特に国際部門に力を入れていたわけでもなかったので、皆より多くの取引経験を積んでいた。
2年半クリーブランドにいた間に香港オフィスは7名から90名まで増員したが、オフィスのほとんどのものは経験に乏しかったので、ここアジアでの投資銀行業務で私にお呼びがかかったのだ。
仕事は素晴らしく給料はその時の仕事の10倍で、リサイクルの仕事がこの先上手く
いかないことがわかっていたので、この仕事をうけることを快諾した。
誰もがなかなか幸せになれないオハイオのクリーブランドを去り、刺激的で活気があり素晴らしい所と以前の滞在から記憶していた香港へ移り、ベア・スターンズ社で勤務することになった。
私が「ここ」という時にアジアを意味するのは、日本とアジアがアメリカにとって他と異なる市場であるからだ。

 ■  第52回Fコミュポッドキャスト

今回もRCG JAPAN LTD. レミアス・キャピタル・グループ のアンソニー M. ミラー氏にお話をうかがいます。
アジア事業縮小で半数の減員となるが、ミラー氏は首にならずNY転勤の話が来る。ところが香港にとどまる決意をしたミラー氏はその話を蹴り2年ほど失業する・・・。
この回では
■ベア・スターンズに復帰するもアジア事業縮小の中で
■失業から一転 起業と引き抜き
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内容
■ベア社に復帰するもアジア事業縮小の中で
香港は素晴らしく刺激的で大変気に入っていたのだが、アメリカの投資会社にとって中国の急速な成長は利益を生まなかった。
中国ビジネスのために3倍、4倍、6倍と香港オフィスの規模を拡張してきた会社が、軒並み5年10年経たないうちに中国市場が儲からず取引も少なくなるという。
深刻な発見をし中国オフィスの縮小に走ったアメリカではよくあることで、必ずしも良いことだとは言えないが、我々(投資銀行)は常に頂点を追い求めているので、ピークに向けて増員し、ピークが去ったら減員する。
クリーブランド時代の2年を入れずとも、断続的にほぼ10年ベア社で勤務し、家族同然だったため、皆のように香港で解雇されるのではなくNYへの転勤の話がきた。
約120人を半数に減員したのだ。
検討した結果申し出を断ったのは、香港に戻ってきたかったし好きだったから。
その後無職となり1,2年高級マンションの家賃を払い続けながら香港にとどまる。
■失業から一転起業と引き抜き
かつて香港での顧客であった友人と一緒に会社を起こすことになり、プライベート・エクイティ投資会社へのアドバイスを理念とした。
いつかプライベート・エクイティ投資会社を立ち上げたかったのだが、一億ドルの持ち合わせがなかったためかなわず、当時は生活するのに十分なほど稼ぐことができなかったが、面白かったしそれが何かにつながればばと願っていた。
結果として大規模なプライベート・エクイティ投資会社であるカーライルにたどり着き、採用され、アジアにおけるプライベート・エクイティ・チームを形成した。
いたるところを飛び回り稼ぎまくった素晴らしく楽しい時期であった。
2~3年後意見の相違があり友人と一緒に辞職するのが良いという結論に至った。
カーライルが数ヵ月後に同じ結論に至ったかどうかはわからないが、再び一人になり次に何をしようかと模索した。
その時注目したのがこの10年で少なくとも2度香港に住み、どういうわけか上手くいかなかったので仕事を辞め、次の仕事が何かわからないというリスクを背負った。
ディロン・リードからベア・スターンズへの転職は、採用され給料が増えたので簡単でスムーズな転職であった。
時に転換は困難でどうなるのかと心配になるが、無事上手くいきレミアスでビジネスをはじめる事になる。
レミアスは現在の会社で香港と東京で働いている。
素晴らしい経験をしているので、おそらくずっとこの会社にいるだろう。
家族同然であるしビジネスも上手くいっていて皆幸せだ。
過去10年で1度ならずとも深刻な押し目が私のキャリアにはあり、そんな時は自分の体をはたきまた出直すしかない。
私を不運だと思う人には、自分はその人と同じくらい不運だとあえて言うし、私をラッキーだと言う人には、自分もその人と同じだけラッキーだと思う。
一生懸命働き賢明であるようにつとめ、周囲の状況を理解しチャンスを生かす。
ラッキーならそれを最大限生かし、アンラッキーなら極力ダメージを受けないようにする。