本プレゼント
2006年12月20日
 ■  第14回Fコミュポッドキャスト

元コスタリカ大使のアレクサンダー・サーラス(Alexander Salas Araya)氏がコスタリカでの女性の活躍、外見がキャリアの上でも重要視されること、政治の舞台から外交の舞台へと自身のキャリアの転換をはかっていったお話をしていただきます。
下記日本語のスクリプトも参考にしてください。

RSSを利用してiTunesやiPodで見るときはオレンジのボタンをiTunesにドラッグ&ドロップし、ダウンロードしてその場で1話のみ楽しむときはグレーのボタンを押してください。
■アレクサンダー・サーラス氏のプロフィールはこちら
■Fコミュでは求人情報を募集しています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コスタリカ人女性の社会的地位:
コスタリカの教育システムは、専門家そして企業家精神を育む。
それは男性だけでなく女性に対しても行わので、男女間の競争が激化する。
かつては女性は家庭に入り男性が肉体労働をしたものだが、今は男女が競い合わなくてはならない。
コスタリカでは女性が大変重要な職を得ていて、時には男性の上に立つこともあり、大変高い能力を持っている。
また法律でも差別が無いよう保護されていて、男女平等が謳われている。
また政治の舞台でも男女が半々の割合で活躍している。
コスタリカでは多くの女性が重要な地位について活躍している。
また、そのような重要な地位につくには外見が重要であるので、外見を気にする人が多い。
というのも外見が競争の重要な要素となるからだ。
日々外見を美しく保つよう努力している。

28歳の時日本の文化に出会う:
コスタリカでは学生を海外へ積極的に送り出している。
私の場合も、外国貿易省で働いていた時にJICAより奨学金を得て、当時はまだ28歳だった。
名古屋に半年間住み、私にとって大変貴重な体験となったのは、それが日本文化に触れた初めての
機会であったからである。
日本語の授業を取り学ぶ一方、ビジネス・フィージビリティ・スタディとマネージメントプラクティスを学び、それは小規模・中規模企業の会社を経営するためであった。
日本文化とかかわっていることが、私の専門知識にとって重要で、日本という特別な国に滞在することは素晴らしい機会である。
帰国後もコスタリカの日本大使館と常に関係を保っていて、日本語の勉強を続け、日本文化とのつながりを保った。
この経験は私の人生において素晴らしい足跡となり、私の専門家としてのキャリアと個人に多大な影響を与えた。
コスタリカに帰国しコンサル会社で勤めていたが、政治に興味があったので、政治家としてのキャリアも始まった。
すぐに市長そして国会議員となり、政治家としての成功を収めた。
その間も日本との関係は続けた。
私が市長を務めた市は茨城県の水戸市と姉妹都市であったのと、国会議員時代は日本の国会との
関係を深めた。
2度日本を訪ね日本文化との関係を保った。
その後住宅開発機関で理事を務め、コスタリカ住宅開発の次官に任命された。
その後私のキャリアは政治の舞台から外交の舞台へと移っていった。
ウルグアイのコスタリカ大使に任命され、南米に3年間居住した。
その後日本でのコスタリカ大使となる。
日本で1年間滞在することになったが、日本へ再度戻ることができたことは、私にとって素晴らしい体験で、独特の日本の国と文化そして国民をより深く知ることができた。

投稿者 Fcommu : 2006年12月20日 14:32

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://career-finders.net/pod/mt-tb.cgi/54

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)