2007年06月27日
 ■  隅々まで浸透させることのむずかしさ

 東京に単身赴任中の私が、福岡に戻った3月半ば、おしゃれなダイニング・バーに友人が誘ってくれた。ホームページを見ると「厳選した素材」「熟練の職人の技」「贅沢な空間」「くつろぎ」「最高のおもてなし」などの文字が躍っている。期待が膨らむ。そして…食事を終えた。それらの言葉は誇大ではなかった。お腹も気持ちも十分に満たされ、預けた手荷物とスプリングコートを受け取り、コートを手に持ったままタクシーで自宅に戻った。
 翌日、10時過ぎ。東京に戻ろうとイスの背にかけたままにしていたコートを手に取ると、それは男性のもの。間違えてしまったのだ。帰りがけにもらった店のリーフレットを見て電話をかけたが留守番電話だった。予約を入れてくれた友人の名前と私の携帯の番号、これから東京に向かうが、手元のコートは友人に届けてもらうことを伝言に残した。
 友人のオフィスに出向き、コートを預け、急いで航空機に飛び乗った。東京に着くと店と友人から伝言が入っていた。「本当に申し訳ございません。○○様と連絡を取りました。コートはすぐにお送りいたします」。男性コートの持ち主も今朝、気づいたらしい。店の人は、お菓子を手に友人のオフィスまで取りに来てくれ、深くわびたという。すぐに店に電話し、わたしのうっかりをわび、コートは着払いで送ってくれるように申し出た。2日後、コートが元払いで送られてきた。薄い毛布に丁寧に包まれ、クッキーが同封され、自筆の手紙が添えられていた。「福岡での最後の夜の楽しいひとときを不快な思い出終わらせてしまい、お詫びのしようもございません。改めておもてなしをさせていただきたいと存じます。福岡にお越しの際は、また、いらしてください」。店側は終始、間違えたことの責任を私に求めなかった。見事な対応に感謝し、コートを受け取ったことを知らせようと手紙を書いてくれた人に電話をかけた。ところが…。
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 電話の女性はあまりにもそっけなかった。「ハイ」と応えるだけであった。手紙とあまりにも違う対応に戸惑うばかりだった。手紙の文章はだれか他の人が考えたのだろうか?
 このできごとは、サービスに関するいくつかの示唆を与える。まず、エントランスがとても暗かったこと。店の雰囲気づくりもあるだろうが、(酔った客に対しても)間違いなく精算を行い、預かった手荷物を受け渡すには、ある程度の明るさが必要なはずだ。次に、午後にならないと直接、連絡が取れなかったこと。貴重品忘れなど、もっと切迫した事態に備え、この店のように複数店舗をかまえている規模であれば、夜から開店するのであっても10時ごろからは連絡が取れる手段が必要ではないだろうか。最後に、店の優れた「もてなし」のポリシーを従業員に徹底することの難しさ。手紙は何かを参考にすれば立派なものがかけるが対面ではそうはいかない。店が描く「最高のおもてなし」を隙間なく実現するには従業員への絶え間ない心と技、両方の教育が欠かせない。


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評定平均:(2.8)
投票人数:(296)
2007年06月12日
 ■  顧客が望むサービスと余計なサービス

 サービスの品質を当たり前(本質)品質と魅力的(表層)品質に二分するとらえる方がある。当たり前品質とは顧客が支払う金額に対して当然受けられると期待しているサービス品質、魅力的品質とは金額に対して必ずしても当然とは思わないが、あれば望ましい品質のことである。料理店には食事を楽しむために行くのであり、料理の作り方を習いに行くわけではない。しかし、たとえば、かくし味に使われている香辛料や調理のコツを教えてもらったとき、ちょっと得した気分になる。これが魅力的品質である。
 あるフランス料理店で友人たちとランチに出かけたときのことである。オードブルはスモークサーモンのサラダ仕立て。給仕人は料理をテーブルに置くとすぐ、にこやかに説明を始めた。サーモンの下の野菜の名前を一つずつ挙げ、ケッパーとゆで卵でミモザ風に飾ったという。次のかぼちゃのポタージュもマグロと野菜のグリエも使われている食材を産地までひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
 やがて、魚料理のお皿が引かれたころから、とてもせきたてられているように感じ始めた。料理がサーブされるとすぐに始まる料理の説明。給仕人に眼をやると、どの給仕人も自分が担当するテーブルの客をじっと見つめている。確かに、給仕人たちはお皿が空になるとすぐにやってきてお皿を片付けてくれていた。しかし、料理の説明をしてくれたり、お皿が引かれたりするたびに会話はさえぎられる。給仕人に凝視され、食事や会話を楽しむ雰囲気が台無しである。
 子羊のロースト、ざくろのソルベと続いたコース料理は最後まで調理法、付け合せの野菜、ソースなど詳しく説明が行われた。そう珍しい料理ではなく手軽なランチなのだからひとつずつ説明してくれる必要はないのだが、この店では料理を説明することが優れたサービス、親切だと考えられているのだろうか。
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コーヒーが出てきたとき、一人がタバコを吸い始めた。1本目のタバコの火を消すとすぐ、給仕人が灰皿を変えにやって来た。その給仕人はタバコを吸っている友人をずっと見ている。そして、2本目の火を消そうとすると、給仕人はそのタイミングを待っていたかのように私たちのテーブルに歩き始め、灰皿を変えた。私たちのコーヒーカップは空になっているのに。何かおかしい…。
 しかし、この料理店だけではない。美容室での過剰な会話もそうである。美容師との会話に合わせることが苦痛なときがある。髪を切ってもらうときぐらい、ぼ~っとしたい、放っておいてもらいたいのだが。当たり前のことだけ、本質的なことだけをしてほしいと思うときもある。


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評定平均:(3.0)
投票人数:(280)
2007年06月01日
 ■  サービスの現場に必要な人はサービスを提供するスタッフ

 人気ランキングでいつもトップクラスのホテルで朝食を取ったときのこと。ジュース、卵、ハムと私たち4人が各々注文し、全員がパンはトーストを頼んだ。すると若いギャルソンが「甘いものはお好きではありませんか?」と言葉をはさんだ。「あまり…」と答えると「私どものペストリーはおいしいと評判なんです。クロワッサンもございます」。「じゃ、少し頂こうかしら」。「かしこまりました。みなさんで召し上がれるようにまん中にいろいろとご用意いたします。トーストも足りないようでしたら、すぐにお持ちいたしますので…」とニッコリほほえんだ。この笑顔はサービススタッフとして仕事をする彼が持って生まれた財産。気持ちの良い朝、爽快感を彼が演出してくれた。
 ところが、しばらくすると、その彼がディレクトールから注意を受けているようだ。ディレクトールは厳しい目で何かを促すかのような手つきをし、声を荒げている。いったい彼はどのようなミスをしたのだろうかと見渡すが、その形跡らしきものは見当たらない。
 サービスの現場では、客の目があるところでスタッフに注意をしてはいけないと言われている。注意の場面を見たり叱責の声を聞いたりするのは、気持ちのよいものではないし、注意を受けたスタッフが平常心で客に接することは難しいはずだ。気持ちを切り替え、先ほどと同じ笑顔で彼が私たちに接することができるとすれば、彼の神経は相当タフである。


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 食事が済んだ。ゆっくりとコーヒーを飲みたいため、お皿を片付けてほしいとナイフとフォークを斜めに並べた。ディレクトールは何度か、私たちのテーブルの横を行き来したが、気付かないようだった。そして、やっと気付いたのか、テーブルに近づこうとした。ほとんど同時にあの若いギャルソンがテーブルに向かってきた。ディレクトールが彼に片付けるようにとジェスチャーで示した。「ペストリー、いかがでしたか?」。「とてもおいしかったです。頂いてよかった…」。「コーヒーのおかわり、いかがですか? すぐにお持ちいたします」。若いギャルソンは先ほどの叱責を私たちにはみじんも見せなかった。さすがプロ。ちょっぴり安心した。そして、コーヒーを飲みながら、はたと思った。ディレクトールは何のために、このダイニングにいるのだろう。客にサービスをするため? それともスタッフを指導したりチェックを入れたりするため? サービスを行わないスタッフこそ、サービスの場には不要なのではないだろうか。この朝、ディレクトールがダイニングで一番、不快な存在だった。
「ありがとうございました」。ダイニングを出るとき、若いギャルソンは最初と変わらぬ笑顔で私たちを見送ってくれた。「がんばってネ」、心の中で彼に声援を送り、ディレクトールに聞こえればいいなと私たちは少し大きな声で感謝を述べた。「ごちそうさま。ありがとう」。
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